「百年舎」のご紹介

明治の後半、南国市に建てられたこの屋敷は、北・東・南のそれぞれに玄関を有し、茶室前にも出入り口を持つという大変珍しい構造をしている。建築当時を知る語り部からの言い伝えによると、この屋敷は、ある人物の自宅として、さらにその人物の使命のために建てられた。
屋敷の欄間には高知城でしか見ることができない欄間と同じものが使用されている。また、複数の入り口から人が出入りできる構造となっているため、いつ何時刺客が襲ってきてもすぐに逃げられるように、勤王の志士たちの末裔の集会所としても選ばれていた。

大正に入ると、土佐藩山内家の一級ご殿医(お殿様の主治医)として高知城に出入りしていた土佐山田の医師が、この屋敷を譲り受け、現在の地に移築し、診療所として活用していた。
大正の終わり頃には、人の出入りもなくなり、長い間眠り続けることとなり、昭和の時代を静かに迎えることとなる。

昭和10年頃、持ち主が変わるが、海外駐在のため、建物は料亭などに貸し出されていた。
戦火を逃れ、南海大地震にもひるまず、堂々とその姿を保ち続けたお屋敷は、昭和61年代まで『ユースホステル』(宿泊施設)として、高校・大学生を中心に多い日には70人がここに泊まったという。

昭和後半から平成にかけては、またも静かな時代が続くことになるが、平成の中頃になり、現在の持ち主(土佐山田;陶器専門店『独歩堂』)が譲り受け、細部に渡り手直しや整備をすることで蘇り、国の登録有形文化財の認定を受け、今日に至る。近年は、イベント等で活用されることもあるが、日ごろはめったに人の出入りはなく、ひっそりと令和の時代を迎えている。

館内には、当館の持ち主である陶器専門店『独歩堂』の調度品がところどころ置かれており、それらが館内をさらに引き立てている。